ドックベストセメント治療(歯を削らない虫歯治療)の歴史

Doc Holliday

ドックベストセメント治療の起源(1):ドック・ホリデーという人物

アメリカの西部開拓時代に生きたドック・ホリデー(正式名:ジョン・ヘンリー・ホリデー/1851年-1887年)は、歯学博士であると同時に、腕利きのガンマン、はたまた、有名なギャンブラーなど、さまざまな顔で時代にその名前を残した人物です。


アメリカ南部ジョージア州グリフィン市の裕福な家庭に生まれたドック・ホリデーは、1872年にフィラデルフィアのペンシルベニア歯科大学で歯科医師(D.D.S.)の資格を取得します。学内でも傑出した優秀な学生であったと同時に、革新的な治療を研究する革新者でもあったと記録されています。


ドック・ホリデーは卒業時に「歯の病気」に関する論文を発表していますが、悩みを持って大学にやってくる患者に対して、当時では珍しかった硫化ゴムから作った義歯を与えてみたり、ブリッジを施した治療を行うなど革新的な治療を実践していったのです。 

ドックベストセメント治療の起源(2):ある日の治療と6歳の女の子

John Henry Holliday

John Henry Holliday
1851-1887(20歳のとき)

ある日、ドック・ホリデーの評判を聞きつけた人物が、6歳の女の子を連れて大学にやってきます。


ちょうど、レッドカッパーセメント(赤銅セメント)という、虫歯の防止と歯の神経組織の新陳代謝を復活させるセメント(※1)を研究開発していたドック・ホリデーは、虫歯になってしまった女の子の大臼歯(一番奥にある歯)に純粋な加工金の王冠を作成し、レッドカッパーセメントを用いて被せました。


通常、6歳の子供の大臼歯は、最初の一年以内に再う蝕(※2)するケースが25%以上と高いのですが、そのときにドック・ホリデーが行ったレッドカッパーセメントの治療は、その幼女が1967年に、なんと102歳で死去するまで再発することなく健全に保たれていたことが、後年になって判明しています。 

ドックベストセメント治療の起源(3):ドック・ホリデーの死

ドック・ホリデーの墓

ドック・ホリデーの墓
(コロラド州・グレンウッドスプリングス)

大学を離れ、ジョージア州アトランタに移ったドック・ホリデーは、歯科医院を開業したものの、すぐに肺結核を患い、余命数ヶ月を宣告されてしまいます。


結核をできるだけ悪化させないようにと、より乾燥した西部へと移住を決意しますが、行く先々でも安住することなく、南部諸州をさまよい、最後はコロラド州グレンウッド・スプリングスにて、36歳という短い生涯を閉じます


ドック・ホリデーの没後もこの赤銅セメントの研究は続けられましたが、研究の途中で、殺菌力を増すために銅の成分を増やしたところ、歯の神経を腐食させてしまうことが分かり、それ以来研究も下火になり、赤銅セメント自体も徐々に使われなくなってしまいました。


また、さらにその後は、歯科治療は虫歯をすべて除去して治療する方向に進んだため、ドック・ホリデーが開発した赤銅セメントのことはほとんど忘れられていったのです……。 

ドックベストセメント治療の発展:ドクター・ティムという人物

ドックベストセメント

1990年代に入り、アメリカの歯科医師・Dr.Timothy Fraser(以下、ドクター・ティム)が、一人の患者の歯から、赤いセメント(※1)材質をこすり取りました。その老年の患者の口の中は歯垢だらけでしたが、う蝕(※2)は皆無であったため、ドクター・ティムはこの赤いセメントに着目しました。


このセメントは、基本的には高濃度の銅セメントでした。ドクター・ティムは、銅セメントの有毒性についても研究し、薬剤師と共同で無毒で抗菌性に優れたセメントの開発に携わりました。こうして、第一酸化銅(Cu2o)2%含有の抗菌性に優れたセメントが開発される機会が生じたのです。


これこそ、現在のドックベストセメントであり、100年以上の時を越えてドック・ホリデーの研究が実った瞬間なのでした。

 

※(1)歯科用語における「セメント」:詰め物や被せ物を入れる時に使われる接着剤のことです。

※(2)「う蝕」:口腔内の細菌が作った酸によって起こる、歯の実質欠損のこと。う蝕された歯のことを、一般的に虫歯と呼びます。
参考資料:『デンタルダイアモンド2009年12月号~実践歯学ライブラリー MIの理念を実現する「Doc's Best Cements」の臨床~』